はじめに – 新関税政策と日本物流業界への懸念
2025年4月2日、トランプ米大統領は全輸入品に対して一律10%の基本関税と、各国別の追加関税(相互関税)を発表しました[1][2]。日本向けには追加14%が設定され、合計24%という厳しい関税措置が取られました。この「トランプ関税」は特に日本の対米輸出の主力である自動車業界を直撃し、ひいては日本国内の物流業界・サプライチェーン全体に大きな影響を及ぼすことが懸念されています。
一方、日本国内では「物流の2024年問題」と呼ばれる深刻な課題が進行中です。2024年4月からトラックドライバーの残業時間が年間960時間に制限され、物流業界は輸送能力不足の深刻な問題に直面しています[3][4]。既に慢性的なドライバー不足で物流コスト上昇や配送遅延が問題化している中、トランプ関税発動による貿易実務負荷の増大が同時に発生することで、インバウンド・アウトバウンド物流網の破綻の可能性が一気に高まります。まさに「外からの強風(高関税)と内なる逆風(ドライバー不足)」が同時に吹き付ける中、物流業界はレジリエンス(復元力)と柔軟性を試されていると言えるでしょう。
本稿では、米国の関税政策による地政学リスクと日本物流業界の構造問題が相互に与え合う影響について、2つのシナリオに基づいて主要な論点を整理して論じます。トランプ関税の発動には90日間の猶予期間が設けられており、2025年7月初旬まで交渉状況に応じて保留されました[1]。日米交渉が妥結し追加関税が回避されるケース(シナリオ1)と、交渉決裂により7月以降24%が本格適用されるケース(シナリオ2)では、日本の物流業界への影響は大きく異なります。
シナリオ別:交渉成立 vs 追加関税発動の物流インパクト
シナリオ1:交渉成立(追加関税回避、10%関税にとどまる場合)
4〜6月の間に適用される10%関税に対し、企業は価格調整や米国内在庫を利用することで対応しています。実際日本から米国への月間コンテナ輸出量は4月は前年より12%減少[5]しており、今後GDPは約0.24%(約1.5兆円)低下すると試算されています[6]。この期間、企業は慎重な姿勢を取り、設備投資や生産計画の見直しを行うことが想定されます。物流企業も配送ルートや在庫管理を細かく調整し、リスクの軽減を図るでしょう。
7月に交渉が妥結し追加関税が回避されれば、市場は安堵感を取り戻し、物流も徐々に正常化に向かいます。港湾や倉庫での混雑も緩和され、通関作業の負担も徐々に軽減されるでしょう。経済全体への影響も軽微にとどまり、物流業界にとって致命的なダメージは回避されます。ただし、一度生じた混乱の影響が完全に払拭されるまでには数ヶ月を要する見込みです[4]。
総じてシナリオ1では、「想定より穏やかな着地」となり、物流業界は急ブレーキを踏まずに済む形となります。
しかし、荷主・物流企業双方ともに、今回の一連の騒動を教訓に、リスクシナリオごとの業務継続計画(BCP)を早急に整備する必要があります。輸送契約の見直し、関税変動時の運賃調整条項を盛り込む動きも加速するでしょう。
シナリオ2:交渉決裂(追加関税発動、合計24%関税となる場合)
7月以降に合計24%の関税が適用される可能性が高まると、一時的な輸出の駆け込みが発生し、港湾や倉庫での貨物滞留が深刻化するでしょう。関税発動後は、その反動として、対米輸出は急激に減少します。物流品質の最大の決定因子は需給変動ですから、物流業界全体に与える影響は計り知れません。
特に自動車や電子機器分野では輸出量が大幅に減少し、物流需要が激減します。この状況は7〜9月にピークを迎え、RORO船の積載率が大幅に低下することとなるでしょう。また輸出控えにより国内倉庫に在庫が滞留し、一部倉庫業者では保管スペースの逼迫が深刻化することも考えられます。
輸出減に伴い、トラック運送各社では売上高が前年より一斉に減少します。特に米向け輸出製品を地方工場から港まで運んでいた路線は軒並み荷物が半減し、トラック運転手が空車で待機するケースすら起こり、「2024年問題」で叫ばれていた配送キャパシティ不足の問題が皮肉にも解消される事態となります。
日本全体の企業経常利益は減少に転じ、実質GDP成長率は従来予測より0.5ポイント低下し、倒産件数は前年比+3.3%(約340件増)に達すると試算されています[4][7]。特に中小規模の運送会社では資金繰りが悪化し、業界全体が厳しい経営環境に追い込まれることになります。
以上のシナリオ比較から明らかなように、交渉妥結による追加関税回避は物流業界にとって死活的に重要です。シナリオ1では影響を最小限に食い止め、将来への態勢立て直しに集中できます。一方シナリオ2では短期的混乱と長期的構造変化に直面し、業界規模での縮小や変革を余儀なくされます。
仮に、交渉がまとまり最悪の事態が回避されたとしても、「備えあれば憂いなし」です。物流プレーヤーは最悪シナリオを常に念頭に置き、レジリエントなサプライチェーン構築と事業継続計画の整備を進めることが肝要でしょう。筆者は、以下に2つの対策を提唱します。
対策1 ― 日本製造業の拠点戦略:チャイナプラスワンから米国回帰まで
トランプ関税の影響を回避する為に、日本の製造業各社はグローバル生産拠点戦略の再構築を加速化することが1つの強力な対策となります。その検討に当たっては、これまでの我が国製造業の生産拠点戦略の歴史を振り返る必要があります。
まず1990年代以降、多くの日本企業は生産コスト削減や新興市場開拓を目的に生産拠点の中国移転を進めました。中国は「世界の工場」として日本の製造業を受け入れ、サプライチェーンの要となりました。しかし、次第に、人件費高騰や米中対立などにより「チャイナリスク」が意識され始めます。そこで2000年代後半からは、拠点を中国以外にも分散する「チャイナプラスワン」戦略が台頭しました。[8] ベトナムやタイ、インドなど東南アジア諸国に生産拠点の一部を移す動きが広がり、リスク分散と安定供給確保が重要視されるようになったのです。実際、日本政府もサプライチェーン多元化を支援する補助金制度を設け、第三国移転と日本回帰を後押ししてきました。
さらに直近では、米国市場への対応として「(日本企業の)米国回帰」の動きも見られます。[9] これは米国で生産回帰や現地生産を拡大する潮流で、第一次トランプ政権期の圧力やバイデン政権の産業政策支援も背景にあります。これを受け、トヨタやホンダをはじめ日本の自動車メーカーは北米工場への増資・新設を進め、「Made in USA」製品の比率拡大に舵を切りつつあります。事実、米商務省統計によれば2023年までの対米直接投資残高の国別首位は日本であり、5年連続で最大の投資国となっています(医薬・EV・半導体・食品など幅広い分野)[10] 。これは日本企業が米国市場への深いコミットを示すもので、消費大国米国が今後も成長を続けることを見越しシフトが進んだ結果とも言えます。
まとめると、日本の基幹産業である製造業は、時代の趨勢と共に中国→東南アジア・日本→米国へと拠点を移していることがうかがえます。では、今回の24%関税リスクを踏まえ、日本企業は今後どのように拠点戦略を再構築すべきでしょうか?
鍵となるのは「市場毎の最適配置」と「分散・集中のバランス」です。これは短期的には設備投資負担が伴いますが、中長期的には関税リスクを遮断し安定供給と価格競争力を維持する効果が期待できます。
また、国内回帰(リショアリング)の推進も重要です。重要製品や部品については、非常時の供給網を確保すべきです。先述した政府の補助金を活用しつつ、生産ラインの一部を国内に残す・戻すことで、バックアップ体制を整えるのです。コロナ禍で明らかになったように、国内に一定の生産能力や在庫を持つことは海外リスク発生時のレジリエンス向上につながります。「国内の高付加価値生産+海外の量産」といったハイブリッド戦略で競争力とリスク管理を両立することが肝要でしょう。

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対策2-サプライチェーンの最適化技術によるリスク回避
最新のAIやIoTを活用したサプライチェーン可視化および需要予測技術は、物流リスクへの対策として非常に有効です。特に生成AIは、多様なデータを分析し、物流の最適化や在庫調整を迅速に行うことができます[11]。
世界経済フォーラムの報告によれば、2025年にはAIがサプライチェーンの改善・最適化に大きく貢献する可能性があるとされています。[12] 実際ここ数年、コロナ禍や度重なる自然災害、地政学リスクを受けて、各企業はサプライチェーンの脆弱性に直面しました。
ここに登場したのが、生成AIによる需要予測・最適化です。生成AIの真価は、大規模データから有意義なパターンを抽出し、意思決定を支援する能力にあります。物流業界では、過去の配送データ、気象情報、交通状況、消費者行動など、多種多様なデータソースを統合分析することで、より精度の高い需要変動の予測が可能になります。[12] 例えば「米国で関税が追加発動される確率が高い」というシナリオが浮上した際、AIがそれを踏まえて部品や原材料の所要量を再計算し、事前に在庫を積み増す提案をすることが可能です。AIはサプライチェーンの動的な環境変化に対して機敏かつ効率的な対応を可能にするのです。
日本企業にとっても、これらデジタル技術は物流2024年問題と地政学リスクという二重の難題に対処する切り札となりえます。まず国内の物流効率化では、トラック予約システムや配送ルートのAI最適化、積載率向上のためのマッチングプラットフォーム導入の検討が進んでいます。これらはドライバー負担軽減や人手不足対策として有効ですが、同時に緊急時の輸送力融通にも役立ちます。また国際物流では、関税率シナリオを変数に入れて収益への影響を試算し、生産計画を微調整するといった取り組みを行う企業も登場しています。データが蓄積されAIモデルが洗練されるほど、こうした事前の備えは現実のショックを和らげる効果を発揮するでしょう。
おわりに
トランプ政権の関税政策という外的ショックと、日本国内の物流構造問題という内的課題が重なり合った今回の事態は、グローバルサプライチェーンの脆弱性と対応力を改めて浮き彫りにしました。日本の物流業界・製造業界は、リスク分散・効率化・デジタル活用というキーワードを軸に、新たな時代への適応を迫られています。
本稿で論じたシナリオは極端な仮定も含みますが、重要なのは「最悪を想定しつつ最善を目指す」姿勢でしょう。地政学リスクは今後も形を変えて襲ってくるかもしれません。国内では高齢化・人材不足に伴う物流制約が続くでしょう。しかしそれらに怯むことなく、リスクと正面から向き合い、先手の対策を打ちながら、持続可能なサプライチェーンを設計・運営していくことが、日本経済の安定と成長の鍵を握っています。物流は経済の血脈であり、国際関係の変化に一喜一憂しない強い血脈を作ることこそ、今求められているのではないでしょうか。
執筆者:大野 有生(取締役, 東京海上スマートモビリティ)
更新日:2025年6月12日
参考文献
[1]Reuters, Lawder and Shalal, “トランプ氏が相互関税発表、日本は24% 全ての国に一律10%”
[2]The White House, 2025, “Annex I: U.S.A. Discounted Reciprocal Tariffs”
[3]全日本トラック協会, 2022, “知っていますか?物流の2024年問題”
[4]NX総合研究所, 2023, “物流の2024年問題について”
[5]デカルト・データマイン, 2025, ” 米国向け海上コンテナ貨物量/4月は12.0%減”, LNEWS
[6]木内登英 (NRI未来創発ラボ), “4月2日のトランプ相互関税発表が近づく:10%の相互関税で日本のGDPは0.24%低下”
[7]帝国データバンク, 2025, “トランプ関税が日本経済に与える影響”
[8]BizX, 2025, “チャイナプラスワンの再評価|米中摩擦と東南アジア製造業への影響”
[9]岩田太郎(ビジネス+IT/Seizo Trend), 2025, “実は対米投資「5年連続1位」、日本メーカーで「米国製」が爆増しそうな納得理由”
[10]JETRO, 2024, “2023年の対米投資は日本が5年連続の首位、その潮流を読む”
[11]Pervinder Johar (World Economic Forum), 2025, “AIとグローバルサプライチェーン〜次の大きな衝撃に備えて〜”
[12]MIT Slocn Management, 2024, “How artificial intelligence is transforming logistics”